大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件で逮捕された宅間被告の死刑が
きょう、執行されたらしい。

2001年、事件が起きた当時は私は高校で午前の授業を受けていた。
午後の授業で来た先生が、池附で事件があったということを伝えて
クラスが騒然となったのを覚えている。
中には家からその小学校が近かったり、知り合いがそこに通っていたりする人もいたらしい。

去年、死刑が決まった時は家にいた。
被告は傍聴してる遺族達を傷付けるような発言を連発し、裁判長から退廷を命じられ
張本人がいない中での死刑判決だったそうだ。
関西では午前中「痛快エブリディ」という番組を放送していて、司会は桂南光さんと関純子アナなんだけど
関アナが冒頭で死刑判決のことを伝えてて、声が震えて半泣きになってた。
その日の晩、部屋にいて事件のこと考えたら涙が出てきた。
西川さんの「hear」って曲聴いて落ち着こうとして、でも泣いてた。

被告は確かに複雑なものを抱えていたと思う。
学歴コンプレックスみたいなのを持ってたとも聞いているし。
統合失調症(昔は精神分裂病といっていたもの)とか、病気とは言わないけれど人格障害(性格の歪み)とかもね。
でもそうだからって赦されるものじゃない。ラインを超えている。
本当に自分が苦しくても、他人を苦しめることで解決してはいけない。
苦しみ・つらさを知っている人なら分かるはずなのに。
でも、被告は、知らない人に刃物で刺される痛みと恐怖は知らないままだったね。

自ら死を望むことは、基本的には逃げるための手段でしかないと私は思う。
だから、人をたくさん傷付けておいて早く死なせてくれっていうのは
最後まで好き勝手させてくれっていう我侭だから、そんなの叶えて欲しくなかった。
(そういえば前、学校の教頭が集めた修学旅行費を娯楽に使い切って自殺したって事件あったね。)

死刑制度自体にはやっぱり反対だ。
罪を犯した人には生きて償って貰わなければ意味がない。
生きていることのほうが苦痛でいい薬だろうし、更生できるかも知れないから。
だけどまぁ、犯人にとって生きていることと死ぬことのどちらが苦痛なのか
それは人によるからな・・。
死刑じゃないからと牢獄でのんびり生活するやつもいれば、
今回みたいに死刑だからと気楽に好き勝手言い散らして逝くやつもいる。
人間って難しいよね。
なんでこんなに色んな人間がいるんだろう。

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